微妙に少数派に属するがユーモアはない

基本一般的ではない方が好みだが個性的まではいかない。私って微妙に面白みに欠けるんだよなあと良く感じます。意見を言うのは好きだが、目立ちたくはないし自己顕示欲が弱い。ほんのちょっぴり変わった人です。

寝っ転がるのが好き過ぎて

座るより、立つより

 

寝転がるのが1番好きです。

すごく好きです。

 

座っててもあまりリラックスできないんですよね。寝るのももちろんすきですが、また別です。

 

寝転がりながらiPhoneしたり、本読んだり、漫画よんだり、

 

実は論文書いているときも寝転がりながらが1番はかどります。

 

実はガッと集中するのが得意です。

でも欠点があり、間に休憩を挟んでも、短時間でリラックスすることが苦手で、実質頭と体を休ませられないのです(色々試したが効果なし)。

 

短時間集中は座ってても全く問題ないんですが、長期戦(自分のペースで自分の意見を述べたりする、1年・半年程度かかる作業)は、後半から疲労が蓄積して急にペースダウンしてしまいます。

 

 

その結果、

寝ながらやると、過集中しない程度にやって、たまに他のこともして、結果こっちの方が長時間やれてはかどる。

となります。

 

我ながら面倒。あんまりいないかしらこういう人。

あ、ただし、腰が悪くなるのはよろしくないです。笑

 

 

 

あと、同じ過集中の欠点が理由で、

静かな場所や、みんなが集中してシーンとなっている場所で勉強するのが苦手です。

ある程度人が話していたり、誰かが活動している音がある方が、適度に集中できます。

 

わりとかなりうるさくてもできます。笑

 

自分だけ自分の世界に入るの得意です。

 

こういう人はいるんじゃないかな?

 

ブログはダンブルドア校長の憂いの篩に似ている

注⚠︎ハリーポッターを完全に知らない人は分からない内容になっています。映画を途中までくらいならみたよっていう人は少し?わかるかもしれないです。

 

良からぬことを聞きますが、

憂いの篩って読めました?

 

正しい読み方は「うれいのふるい」です。

はい、私読めませんでした。

ふるいって使わないし!!!篩ってなに?

 

検索した結果…ああ、小麦粉とかダマにならないように使う網目の道具やん。めっちゃ知ってるやん。

 

ハリーポッターの世界に惑わされました。

 

 

と、ここまでちょいと長い前置きになりましたが、題名に戻ります。

「このブログは、ダンブルドア校長の憂いの篩に似ている」という私の見解。

 

頭で考えつくしょうもない疑問が多過ぎて困っていたところに、このブログを立ち上げることを思いつきました。

 

私にとって、頭の中を整理する目的でもあります。そして、現実の友人・家族にウザがられる内容をここで発散してます。笑

 

文字にすること(はっきりと言語化すること)で、過去の意見もみられるし、意見の変化もみれて面白いです。きっと。(まだ1週間弱しかやってない。)

 

頭の中のモヤモヤが多い証拠に、公開前の下書き(題材のみ)が現時点で17個たまってます。

ずっと意見を抑えてきた反動?笑

 

文字にすることで、ある意味頭で長く覚えてなくても残しているから軽く忘れても冷静に見返せて、簡潔に書かれているから、思い出すのも楽チンです。パッと考えついて、パッと忘れることも多いし。

 

さらに、自分だけみる日記とは違い、多少は人が読む可能性があるのでより言葉を選び、結果自分のためだけの日記より質が上がる気がします。

 

 

ダンブルドアがやってるみたいに、頭から銀色の糸のような記憶(私の場合は思いついた感想・意見)をふるいに入れていると思うとちょっとカッコイイ気がしてきます。

 

単純ですね。

 

ちょいと関係ないですが、残念ながらハリーポッターの熱狂的ファンではありません。映画はすべて見ています。ちなみに個人的にハリーポッターシリーズ映画は結局一番目の作品が好きです。あの、魔法が存在する新世界に触れた時の感動?ハリーと同じ気持ちになった事が忘れらません。あと音楽もすごくいい!!

 

ウィンガーディアム、レディオーサー(わかるかな?)はその辺に落ちてる木の棒で練習した記憶がかすかにのこっています。笑

 

 

論文の追い込みで疲れたので今日はおーわり!

 

 

 

 

思っているよりはるかに価値観が違う

「価値観・視野の広さ・考え方が自分が思っている以上に他人と違うことがある」のお話。

 

そして、空気が読めるかも人によって本当に違う。

 

考え方なんて人と違うということは当然で当たり前だと思うのですが、
それにしても!!!!!

え、ここまでこの態度で、こうしてるのに、よくわからないね?!(悪い意味)

 

っていうこと、意外にもよくあります。

今日価値観が似ている友人と会ってその話で盛り上がりました。

 

 

要は自分の想像以上に、違いがあって、理解できない範囲ということになってるのでしょう。

 

人間幅広すぎです。

そんなに多様性あって、ストレスためさせないでくれ…神様…。

 

 

 

今現在環境に恵まれていますが、過去にどうしても理解できない人というのがいました。

 

 

分かろうとする努力…それを続ける苦しさ…。

 

 

理解しようと努力した優しい人が壊れない世の中であってほしいです。

 

 

 

自分も知らない間に、誰かを頭に血がのぼるほどイライラさせたりしているのかな…

 

気づけなくてごめんなさい

謝れなくてごめんなさい

 

 

人をイライラさせる人になりたくないな…

 

でも自分に過度なプレッシャーかけないよう気をつけよう。

 

自分の話になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然と常連になるお店と会話

何度も行ってしまうお店ってありますか?

 

味はもちろんのこと、それ以外の要素って大きいなあと思うのです。

 

常連になる(わりといく程度も含む)お店って

「店員さんが、自分の事を、お客を通り越して、一人の人として認識してくれる居心地の良さ」

が一つの要素なんじゃないかなって思いました。

 

そこに長けているチェーン店のカフェで思いつくのがスタバ。

 

この前訪れたときに、スタバのどこが印象に残る?と彼に聞かれ、

彼は「会計と別の場所で飲み物を手渡される時だ。」と言っていました。

 

たしかに少し不思議かも。

 

 効率をある程度求めるカフェの中で(喫茶店を除くという意味)、
あえて会計と提供を分けているのは不思議です。席まで品物をもっていくならまだしも、お客が立ったまま位置を移動するし。

 

 

そこで考えたこと3つ。

 

あえてお客を移動させることで、

 

1.会話を増やす・人と話す機会を増やす

 

2.会計とは別の人が作ることで、お金を支払った対価によるサービスをうけているという意識を薄める


3.「〇〇を作っています!」と声をかけ、自分のために作ってもらっていると感じることによってありがたさを感じる

 

あくまで私の推測ですが。

 

 

 スタバはそもそもどの店舗でもお客との会話をしようとするスタッフ意識を感じるし、おそらくそういうコンセプトで作られたのかなと思います。

その上で、慣れているスタッフさんは名前を覚えてくれていたり、味の好みを知ろうとしてくれたり、見た目の変化でプライペートに入りすぎない程度に気づいてくれたり、そういうところでお客だけではなく個人としてみてもらえている嬉しさがあります。

 

 

 

カフェにいってコーヒーを飲んでぼんやりしているとこんなことばかり考えてしまいます。

 

 

 

 

 

そういえば、

先ほど彼に聞かれたスタバの強い印象について、

私はというと「キャラメルフラペチーノ。」と即答。笑

 

 

 

だって、高いけど、あれスタバでしか食べられないんだもん!

分析しておきながら結局コンセプトより味重視な私でした。

 

 

 

 

エンパス(共感力者)HSPへの疑問

おはようございます。

 

昨日の夜からずっと考えていた、

「これって本当なの?…と疑問に思った話」です。

(心理学的要素が強いので苦手な方もいるかもしれません。

結論といいますか、ちゃんと心理学の研究者に聞いていないので今回はあくまで私の憶測になります。後日、知り合いの教授に聞いてみるつもりです。)

 

 

最近、ある記事?ネットでの話題をよみました。そして、カウンセラーを名乗る人がカウンセリングを促しているのをみました。それに対しての疑問です。

共感力が強すぎる、エンパス、エンパシー、HSP、エンパス体質という言葉を聞いたことがありますか?

 

まず、エンパシー(empathy)という言葉は本当にあって、共感・感情移入という意味です。

 

ただ、エンパス・エンパス体質という言葉は心理学を学んでいて出てこなかったので、???初めて聞いた。と思いました。

 

 

提唱者のエレインアーロンさんによると、

科学的用語としてSensory-Processing Sensitivity (=感覚処理感受性)(SPS)という研究は本当にされていて、一般的にそのような人をHighly Sensitive Person(HSP)というそうです。それで感受性(≒共感性?)が強い人という訳になったのでしょう。

 

1991年以降アメリカのアーロンさん中心に研究が行われ、日本でも数名ではありますが、論文を発表しています。

 

しかし…

まだこの研究は十分に行われていなく、ここまで先に広まっていいものか…という疑問が湧きました。

 

なぜなら、共感力やエンパスという言葉に心理学を学ぶ人以外が反応し、実際にカウンセリングがかなり行われているようだからです。

(一部でオーラや、第六感と絡めているどちらかといえばスピリチュアルに近い要素と絡めている人もいます。それを完全否定するつもりはないですが、疑問はあります。)

 

 

 

そもそもエンパスという言葉がどこからきたのはネットではたどり着きませんでした。

 

共感性が高い人が存在することには同意です。

ただ、あなたはエンパスですよ!と断言するほど研究は進んでいないし、カウンセラーさんあなたは誰よ?って思ってしまいました。

 

難しいところですが、

本当に悩んでいる人にとって、エンパスか否かはともかく、適性なカウンセラーによるカウンセリングを行うこと(エンパスに限らず、不安を取り除くという意味)は効果があるかと思います。

 

気になる点はカウンセラーは国家資格ではなく、名乗ること自体は違法ではないため、実際、経験や知識がなくても誰でもカウンセラーということができてしまうことです。

一般的に日本で1番効力を示しているのは「臨床心理士」という民間資格で、大学院卒が必須です。

近々国家資格になるという噂はありますが、いつになるかはまだ決まっていません。

 

人生経験豊富な方がアドバイスをするという面ではある意味カウンセラーと同じ意味を果たすという点で理解できます。

 

しかし、一定数の人が、利益のために、カウンセラーと名乗り、共感しそうな言葉を並べて、お金をとっている

ような気がしてならないのです。

 

考えすぎでしょうか。

 

 

こういうまだあいまいな研究であるのに、割と多くの人が当てはまりそうな症状を前面に出してカウンセリングを促す人は、少し疑った方がいいかもしれません…。

 

 

というちょっとお固いお話でした。

 

 

 

箱根駅伝の白バイ

誇らしい気持ちなのだろうか。

 

先頭で走るランナーを誘導する任務。

 

ものすごい歓声。

 

でも自分に向けられたものではない。

 

 

父に言ったら、警察のトップクラスの人だよ。と言われたが本当なのだろうか。

(父は警察とは無関係の仕事)

(ちなみにまだ父とは喧嘩中)

 

バイの人の笑顔をみたら、やはり嬉しい晴れ舞台なのだろうか。

 

 

 

なんてどうでもいいことを挟んでみた。笑

 

 

p.s.

父との喧嘩その後

〇〇こういうところがむかつくし理解できない。とLINEで書いたら、

人の言葉をつかって、嫌だと思うことには何かが隠されている  とかいう本の引用をだしてきた。

 

そういう論点をすり替えて、あたかも自分が上手い事をいっているかのように振る舞うのがむかつくのに!!!!!笑

ムキーーー!!!笑

嫌いな人は1人もいない

 

これは本当だし、わたしのモットーでもある。

 

「嫌い」ってその人を全否定しているような、拒絶しているような気持ちになる。だから、使いたくないし、そう思わない。

 

人を嫌わない理由は人の見方にある。

 

「人は色んな面を持っていて、かつ、人それぞれその行動にいたった背景がある」

 

と考えているからだ。

 

これは違うと思ったり、不快な態度や行動をとられても、

 

まず、なぜそんな行動や発言をしたのだろうと考え、

それが理解できないものだったとしても、その人の苦手な一面として捉えているからだ。

一面と捉えるところが重要である。

他の部分ももっていると考えれば、まだ出会っていない色んな面があると思えるので、これからも接していけるのである。

 

私も人間だからカッとなり怒ったりもする。

 

でも冷静になった後、考えても理解できない理不尽な行動だったとしても、そうなったのには私の知らない相手の過去の経験、出会った人との関わりや生まれつきの性格でそうなったのだろうと推測するようにしている。そう思うと、これで過去に人を何人遠ざけてきたのだろうと考え、

私はしないように心がけようと教訓が増えておわる。

 

だから、いままで、ほとんど怒らない温厚な人でいられたのかもしれない。

 

 

この部分は変わっていないけれど、

この頃気づいたのは、そうやって、人から受けた嫌な感情を全て自分の中で飲み込んでいると、やはり疲れるのだ。

 

だから、最近はなにか言葉をうけたら、素直に反論するようにしている。(もちろん場の空気や相手は選ぶ)

喧嘩はするが、相手に吐いた分、楽になった。

 喧嘩している時は嫌な気持ちがいっぱいだけれど、あまりたまらない。(まだ少ししか実践していないので今後明らかになってくるだろう。)

 

 

反論された相手はどうなのだろう。嫌だろうな。面倒だろうな。

 

 

でも、自分の事も多少は大事だ。壊れるくらいなら少し吐こう。せめて、違うと思うことは違うと言おう。