《究極の2人》と幸せ
さっき、ふと考え、すごいことに気がついた。
もし、私の人間関係を最小限にして、
かつそれでもそこそこ幸せだと思える
(自分の人生対して肯定的な考えをもてる)
ようにしたら、
誰が残って、それは何人なんだろう。
そして、
究極の2人に
たどり着いた。
最も私を理解してくれる人
と
最も私の存在を肯定してくれる人
である。
言葉にしてみたら、めっちゃ当たり前やん。
って思ったけど、私にとっては大発見びっくり仰天だったのだ。
正直、最低2人でいいんだ!!!少な!!!ありがたい!!!!?
と思った。
人はいつ死ぬかわからないし、未来どんな場所でどんな状況下にさらされるか分からない。
それでも2人がいれば、
最悪、なんらかの方法である程度長く話せる状態ならば、
(なんらか、ある程度っていう表現は許して笑)
わりと幸せに生きられるかもって思えるってすごくないですか。そんな2人に出会えてるってすごくないですか。
なんだか誇りに思ってきた。若干自慢している気がしてきた。
偶然にもどちらも男性。
お気づきだろうか、私は女性。
プライベートの特定をされないよう努め明かされない前提でブログを始めたが、これだけはいおう。
弟
と
彼氏
である。
めっちゃ普通でしょ?
でも、すごいことで嬉しいんです。
私は人に上手く説明したり、考えを話す事が不得意である。
さらに、自分の事をたくさん話すのは迷惑かどうかとても気にする性格である。
さらにさらに色んな可能性をアタマでいっぱい考える。
結果、ポジティブなわけがない。
弟は、
家族目線抜きで見ても、少なく難しい情報を瞬時にキャッチし、理解する能力に長けている。彼の持ち前のセンスのおかげで、説明が下手な私の言葉を理解し、私の癖を把握した上で、かなり客観的なアドバイスをくれる。
すごいやつなのだ。
彼氏は
なぜか私を長い間、菩薩のようにずっと味方でいてくれる。未だに謎だ。菩薩は言い過ぎた。
彼の謎の私への好意を本当の意味で信じるのに5年?6年?かかった。今だに信じられないのかと怒られる時がある。
このへんにしておこう。
弟は家族だからまあいいが、彼氏に関しては何が起こるか分からないので、
あくまでも、現時点での
《究極の2人》である。
こういう「現時点での」という前置きをしておかないと気が済まない現実主義者なのです。信じられない自分が悲しいが、またこういうことをいうと彼に怒られる。こういう部分はきっと彼を悲しませているのだろう。
プライベートな感情が長くなってしまった。
ごめんなさい。
知らん人のプライベートなんて興味ないと思います。その気持ちわかります。ごめんなさい。
あなたにとって究極の人は誰ですか。
なーんて考えてみてとはいいません。
以上。
2人のうちどちらかがいなくなったらと思うと…………
幸せが急にホラーです。
まあ、その時考えよっと…。
わたしが死んだらあなたたちのせいかもです。なんて重すぎてそれもホラー。笑笑
p.s.
母も父も親戚、友人たくさん一人一人違って違う意味でみんな大切です。そこは勘違いしないでください。
(万が一個人がバレた時に備えて。⚠︎これは本心です。)
p.s.2 2017.1.5
究極の二人といったけど、
私にとって母の存在は唯一無二でした。
究極の三人だ。
でも、年齢のことを考えると、可能性の話ではあるけど、いなくなる方が高いんだよな。でも、みんなそれを乗り越えてきているんだろうな。