嫌いな人は1人もいない
これは本当だし、わたしのモットーでもある。
「嫌い」ってその人を全否定しているような、拒絶しているような気持ちになる。だから、使いたくないし、そう思わない。
人を嫌わない理由は人の見方にある。
「人は色んな面を持っていて、かつ、人それぞれその行動にいたった背景がある」
と考えているからだ。
これは違うと思ったり、不快な態度や行動をとられても、
まず、なぜそんな行動や発言をしたのだろうと考え、
それが理解できないものだったとしても、その人の苦手な一面として捉えているからだ。
一面と捉えるところが重要である。
他の部分ももっていると考えれば、まだ出会っていない色んな面があると思えるので、これからも接していけるのである。
私も人間だからカッとなり怒ったりもする。
でも冷静になった後、考えても理解できない理不尽な行動だったとしても、そうなったのには私の知らない相手の過去の経験、出会った人との関わりや生まれつきの性格でそうなったのだろうと推測するようにしている。そう思うと、これで過去に人を何人遠ざけてきたのだろうと考え、
私はしないように心がけようと教訓が増えておわる。
だから、いままで、ほとんど怒らない温厚な人でいられたのかもしれない。
この部分は変わっていないけれど、
この頃気づいたのは、そうやって、人から受けた嫌な感情を全て自分の中で飲み込んでいると、やはり疲れるのだ。
だから、最近はなにか言葉をうけたら、素直に反論するようにしている。(もちろん場の空気や相手は選ぶ)
喧嘩はするが、相手に吐いた分、楽になった。
喧嘩している時は嫌な気持ちがいっぱいだけれど、あまりたまらない。(まだ少ししか実践していないので今後明らかになってくるだろう。)
反論された相手はどうなのだろう。嫌だろうな。面倒だろうな。
でも、自分の事も多少は大事だ。壊れるくらいなら少し吐こう。せめて、違うと思うことは違うと言おう。