1人が死ぬということ
今日、私の知人が慕っていた人を亡くしたと聞きました。
私は、記憶上、かなり親交の深い人を亡くしたことがありません。
記憶上という意味は、祖母が亡くなっているのですが、年齢が低く覚えていません。祖母の顔も写真やビデオがなければきっと思い浮かばなかった。
大事な人を亡くした人は、きっと、
この世の中にたくさんいるのでしょう。
そして当たり前のように毎日どこかで誰かが死に、その事に悲しむ人がいる。
世界規模でみたら、内戦をやっている地域では当たり前のように何百人の単位で一気に死んでいく。でも、一人一人に今までの人生があって、きっと悲しむ人がいる。
正直に言うと、まだ想像できません。
自分がどう影響を受け、どんな感情になるのかも。
分かっていないから言える事かもしれないけれど、
自分が死ぬことは、もう運だと思っています。
なにをやってもなにを考えてもいつ死ぬかは分からない。
だけれど、自分が死ぬ事で、私の親しい人たちが悲しむ事はとても嫌です。私の事で悲しんで欲しくない。
文章がまとまらなくなってしまいました。
今日も誰かが生まれ、誰かが当たり前のように死んでいることが想像できなくて、
でも、想像できてしまったら、自分が壊れてしまうような気がして、考えないようにしているところがあります。
でも、考えないのはどうなのか、とも思い、
ずっと無限ループです。