微妙に少数派に属するがユーモアはない

基本一般的ではない方が好みだが個性的まではいかない。私って微妙に面白みに欠けるんだよなあと良く感じます。意見を言うのは好きだが、目立ちたくはないし自己顕示欲が弱い。ほんのちょっぴり変わった人です。

なんか、つかれた

 

 

今日はとても楽しかった事があったのだけれど、

 

家に帰ったあと、

なぜそこというところにものすごくイライラした。

 

いつもなら、少し経てば治るのに。

ずっとくすぶったままだ。

 

人に話したりして対処はしたつもり。

 

 

 

 

 

普段、人より感情の起伏が激しくない私にとって、

 

 

感情が激しく動くと、

 

 

 

なんだか、疲れる。

 

 

 

特に、怒り。

 

 

私は、普段本当に怒らないし、たぶん人よりもだいぶイライラしない。

 

 

 

 

 

 

怒ってイライラするの、

 

 

いやだなあ。

 

 

つらいなあ。

 

 

 

なぜか涙がでる。

 

 

 

感情の高ぶりってやつか。

 

ズボラ生活〜お風呂編〜

おはようございます。

 

先ほどお風呂に入ってきた者です。

暴露すると2日ぶりです。

 

今日の朝は、

「毎日夜お風呂に入らないとキタナイ人!って思われる呪縛から解放されると結構ストレスフリー」

のお話です。

 

 

お風呂、嫌いじゃないんだけど、

スッキリするのはわかってるんだけど、

それをする体力・気力がないことが多々あり。

 

中学生くらいから、なぜか、

夜お風呂に入りたくない日があって、入らなかった次の日の朝、

猛烈に憂鬱になり、休んだりしてました。

なんなら最近まで、仕事休んでました。

 

別に親が綺麗好きで汚いと言われたわけではないです。なぜでしょう。勝手に決まりを作ってしまったんでしょうか。

ちなみに夜お風呂に入る方が健康に良いそうで、そんなこと聞いたらなおさらです。

 

「汚い人」と思われるのが嫌で休むor外出したくないなんて、恥ずかしくて言えませんでした。

じゃあ、入れよ。って思うし。

でも、入る気力ないし。

ずーん。

 

思い切って、あるカウンセラーさんに話してみたら、

「私だってそういう時あるわよ〜。意外とわかんないもんよ。4・5日入ってないとかじゃなければ。」

 

 

はっ!!!!!!!

 

そういえば、

「わーこの人昨日お風呂入ってないんじゃないの。汚い。」

なんて他の人のこと気にした事ありませんでした。

割と鈍感なのもあるかもしれません。

(友達がメイクを変えた、髪型かえた、新しい服とか全く気づかない。気づいても心の中で、あ、変わったな、可愛い。と思って終わり。)

 

 

気づくの遅!!!!!!

 

 

我ながらつっこみたくもなります。

 

 

その日から、気力に従い、

お風呂に入りたくない夜は、基本的に次の朝入る。

本当に朝時間がないときは、バレないからそれでもよし。(2日くらいまではね)

 

ってことになりました。

 

毎日夜お風呂に入るか問題と戦い、ストレスを自ら作っていた自分とおさらばです。

 

 

まあ、一定数の方は、え、ちょっと汚いと思うでしょう。

でも、仕事休まれるよりはいいでしょ!!!!

 

 

 

こんな恥ずかしい事で悩んでたなんて現実では言えない小心者なのでした。

 

 

ちゃんちゃん。

 

 

 

 

逃げ恥 みくりとガッキー

 

申し訳ない。ここにたどり着いたのは、ある実験に巻き込まれた方々だろう。

 

 

ただただ興味本位故なので許してほしい。

 

逃げ恥

みくり

ガッキー

というワードを出したら、1人はこのブログにたどり着くだろうか

という、ブログをやっている人ならば一度は考えそうな安易すぎるやつである。

 

 

ただただ申し訳ない。

 

これだけは言わせてほしい。

逃げ恥がとてつもなく好きドラマだった。

 

とくに、みくりの思考は、私と似ているものを感じる。流石、心理学科大学院卒!!!

 

ガッキーと似ている部分が一つも見当たらないのが一女性として悔やまれる。

 

ガッキーもみくりも大好きだ!!!!

さらにひらまささんと星野源さんも大好きだ!!!

崖から叫びたい気分です!!!

 

 

 

m(_ _)m

《究極の2人》と幸せ

 

さっき、ふと考え、すごいことに気がついた。

 

 

もし、私の人間関係を最小限にして、

かつそれでもそこそこ幸せだと思える

(自分の人生対して肯定的な考えをもてる)

ようにしたら、

誰が残って、それは何人なんだろう。

 

 

そして、

究極の2人に

たどり着いた。

 

 

 

 

 

 

最も私を理解してくれる人

最も私の存在を肯定してくれる人

 

 

である。

 

言葉にしてみたら、めっちゃ当たり前やん。

 

って思ったけど、私にとっては大発見びっくり仰天だったのだ。

 

正直、最低2人でいいんだ!!!少な!!!ありがたい!!!!?

と思った。

 

 

 

人はいつ死ぬかわからないし、未来どんな場所でどんな状況下にさらされるか分からない。

 

それでも2人がいれば、

最悪、なんらかの方法である程度長く話せる状態ならば、

(なんらか、ある程度っていう表現は許して笑)

わりと幸せに生きられるかもって思えるってすごくないですか。そんな2人に出会えてるってすごくないですか。

 

なんだか誇りに思ってきた。若干自慢している気がしてきた。

 

 

 

偶然にもどちらも男性。

お気づきだろうか、私は女性。

 

 

プライベートの特定をされないよう努め明かされない前提でブログを始めたが、これだけはいおう。

 

 

 

彼氏

 

である。

 

 

めっちゃ普通でしょ?

でも、すごいことで嬉しいんです。

 

 

 

私は人に上手く説明したり、考えを話す事が不得意である。
さらに、自分の事をたくさん話すのは迷惑かどうかとても気にする性格である。

さらにさらに色んな可能性をアタマでいっぱい考える。

 

結果、ポジティブなわけがない。

 

 

 

弟は、

家族目線抜きで見ても、少なく難しい情報を瞬時にキャッチし、理解する能力に長けている。彼の持ち前のセンスのおかげで、説明が下手な私の言葉を理解し、私の癖を把握した上で、かなり客観的なアドバイスをくれる。

 

すごいやつなのだ。

 

 

彼氏は

なぜか私を長い間、菩薩のようにずっと味方でいてくれる。未だに謎だ。菩薩は言い過ぎた。

彼の謎の私への好意を本当の意味で信じるのに5年?6年?かかった。今だに信じられないのかと怒られる時がある。

このへんにしておこう。

 

 

 

弟は家族だからまあいいが、彼氏に関しては何が起こるか分からないので、

あくまでも、現時点での

《究極の2人》である。

 

こういう「現時点での」という前置きをしておかないと気が済まない現実主義者なのです。信じられない自分が悲しいが、またこういうことをいうと彼に怒られる。こういう部分はきっと彼を悲しませているのだろう。

 

 

 

 

プライベートな感情が長くなってしまった。

ごめんなさい。

知らん人のプライベートなんて興味ないと思います。その気持ちわかります。ごめんなさい。

 

 

 

あなたにとって究極の人は誰ですか。

 

なーんて考えてみてとはいいません。

以上。

 

 

2人のうちどちらかがいなくなったらと思うと…………

 

 

幸せが急にホラーです。

 

 

 

まあ、その時考えよっと…。

わたしが死んだらあなたたちのせいかもです。なんて重すぎてそれもホラー。笑笑

 

 

 

p.s.

母も父も親戚、友人たくさん一人一人違って違う意味でみんな大切です。そこは勘違いしないでください。

(万が一個人がバレた時に備えて。⚠︎これは本心です。)

 

 

p.s.2 2017.1.5

究極の二人といったけど、

私にとって母の存在は唯一無二でした。

究極の三人だ。

でも、年齢のことを考えると、可能性の話ではあるけど、いなくなる方が高いんだよな。でも、みんなそれを乗り越えてきているんだろうな。

 

 

なぜ私がここに。「自己顕示欲がない」とは。

自称少数派の私が、ブログというものを始めました。

 

一応ですがここに至った経緯を。

 

オチを一言で言ってしまうと、

『「自己顕示欲がない人」のブログをみつけ、

私もやってみよーっと。』

ということ。

 

とてつもなくありきたり。まあ、以下詳細を。

 

 

 

 

きっかけはこの前、私の良き理解者に言われた言葉。

「〇〇って、『自己顕示欲』がないよね。それってすごいことだと思う。」

 

言われた私はというと、

「自己顕示欲」って分かるようで分からず、嬉しくもなく悲しくもなく。

まあ、言葉の意味を理解してないから当然です。

 

さあ、検索。

<引用>

実用日本語表現辞典 
自己顕示欲
読み方:じこけんじよく

自分自身の力量や存在を目立たせたり、他人から注目を浴びようとしたりする欲望のこと。字義通りには「自己顕示」をしたいという「欲」という意味になるが、「自己顕示欲」という風に表現する場合は、批判的に使われる場合が多い。

 

 

確かに少ないかな?欲が全くないとは言わないが。

 

さらに検索してみると、自己顕示欲が強い人の情報が山ほどでてくるが、

自己顕示欲が弱い人の情報は驚くほどでてこない。

 

あらま、私珍しいタイプなのかしら。

 

そこで目にとまったのが、

『自己顕示欲などないと思っている人がブログを書いてしまうという矛盾』

というブログ。

 

最近始めた方のようですが、私はここでビビッときてしまったのです。

 

ずーーーっと感じていたSNS系の自分の疑問。

一言で表すのは難しいので考えを羅列します。

 

はっきり言って長いです。

 

SNSで自分をみて!アピールするの嫌いだし、そう人に思われたくない。周りの目もあるから好き勝手に書けない。現実の友達はそこそこいて、友達申請が増えるほどその無言の制約は増えるばかり。

その結果、以前のtwitterは退会。現実世界での人間関係(一般的に仲良くなろうとするときに使う)に支障をきたさないためにフェイスブックはもっているが、あくまで受け身だし、誰かがこちらにアクションをかけてこない限り基本アカウントは開かない。

今は幼なじみ3人のみフォロワーのアカウントが一つ。基本投稿を自由にあげ、プライベートな写真もあげる。この私の思考を理解してくれているため彼・彼女らは基本既読スルー。ありがたや。

私は物事を聞いたりみたりすると、意見を言いたくなる。おそらく人より少し多い。しかし、それを批判や自分の意見を押し通したいとか肯定してほしいわけではなく、「主張が強い(ちょっと面倒な)人」と思われたくないがために意見を飲み込んできた。文章が得意ならばなんらかのツールで上手く主張しただろうが、なんせ私は話が長く面白みがないのを自覚している。

…。

理解してくれる数少ない友人にも、面白くない話を長々と聞かせ、相槌を打たせるのもいい加減忍びない。

 

ぬおおおお。」

 

どうやら私は、

ドラマ、映画、本、グルメ、ファッション、ニュースなど様々な事を

心理的側面から客観的に細かく分析する癖があるらしい。

そんな論文のように文字数が多く、論理的に、答えのない事を、客観的とは良い言い方で、要は上から目線の意見を言うのだ。

それは聞いている方はきっと面白くないだろう。

 

 

長ーく長ーくなってしまったが、

今回気づいた事が2点。

⒈自己顕示欲が弱くても、人として意見があることはおかしくない。

2.この人種にとって、昔からあるブログの形態(最近の流行とは違う、現実の友達と繋がらない方式)は、もしかしたらストレスの発散に適しているかもしれない。

 

 

ブログという形をとれば、

見たい人が見て、見たくない人は見なくて、見る側が飽きたらやめられて、

私は頭の中のモヤモヤ・意見を書く事で発散ができる。

 

良い方法かもしれぬ。とやっと気づいたわけである。遅い、遅いよ私…。

 

 

あとは

 

続くかどうか

 

 

である。めっちゃ大事。

 

 

それはまた別の話…。悩みはつきません。

頭の中で答えのない事をああでもないこうでもないと考えるのは昔から好きなのです。

でも、たまに人の意見も聞いてみたくなる。純粋にこの意見は周りからどう思われるのか。

 

ややこしや。

 

 

 

p.s.

話は逸れますが、こういう性格のためか心理学というものを学んでいます。じゃあ俺の心読まれてるんだ〜とかいうリアクションはやめてください。それ100回やってます。実際は少なくとも30回+苦笑いはやった。

心理学を学んでいると言っても何も変わりませんでした。むしろ余計に思考が論理的に… 。

 

あ、あと関係ないこと。

最初ブログのタイトルに、かっこよく?「マイノリティ」という言葉を使おうとしたのですが、社会的に何かしらの批判・被害を受けているという意味を含んでいるらしく、

簡単に意味を調べず言葉を使うのは気をつけようと思いました。

 

あ、さらにさらに

少数派と少数の違いも知りました。少数派って数が少ないという意味ではなく、あくまでも母数に対して少数ということなんですよね。

私が日頃自分を客観的にみて表したかった事は、母数に対して少数であり、被害をうけていないので「少数派」という表現が正しかったようです。

このブログ続くか分かりませんが、私にとって少しはプラスになったようです。

 

分かってたようで…っていうこと多いです。

 

 

「ようです。」連発してる…。笑