なぜ私がここに。「自己顕示欲がない」とは。
自称少数派の私が、ブログというものを始めました。
一応ですがここに至った経緯を。
オチを一言で言ってしまうと、
『「自己顕示欲がない人」のブログをみつけ、
私もやってみよーっと。』
ということ。
とてつもなくありきたり。まあ、以下詳細を。
きっかけはこの前、私の良き理解者に言われた言葉。
「〇〇って、『自己顕示欲』がないよね。それってすごいことだと思う。」
言われた私はというと、
「自己顕示欲」って分かるようで分からず、嬉しくもなく悲しくもなく。
まあ、言葉の意味を理解してないから当然です。
さあ、検索。
<引用>
実用日本語表現辞典
自己顕示欲
読み方:じこけんじよく
自分自身の力量や存在を目立たせたり、他人から注目を浴びようとしたりする欲望のこと。字義通りには「自己顕示」をしたいという「欲」という意味になるが、「自己顕示欲」という風に表現する場合は、批判的に使われる場合が多い。
確かに少ないかな?欲が全くないとは言わないが。
さらに検索してみると、自己顕示欲が強い人の情報が山ほどでてくるが、
自己顕示欲が弱い人の情報は驚くほどでてこない。
あらま、私珍しいタイプなのかしら。
そこで目にとまったのが、
『自己顕示欲などないと思っている人がブログを書いてしまうという矛盾』
というブログ。
最近始めた方のようですが、私はここでビビッときてしまったのです。
ずーーーっと感じていたSNS系の自分の疑問。
一言で表すのは難しいので考えを羅列します。
はっきり言って長いです。
「SNSで自分をみて!アピールするの嫌いだし、そう人に思われたくない。周りの目もあるから好き勝手に書けない。現実の友達はそこそこいて、友達申請が増えるほどその無言の制約は増えるばかり。
その結果、以前のtwitterは退会。現実世界での人間関係(一般的に仲良くなろうとするときに使う)に支障をきたさないためにフェイスブックはもっているが、あくまで受け身だし、誰かがこちらにアクションをかけてこない限り基本アカウントは開かない。
今は幼なじみ3人のみフォロワーのアカウントが一つ。基本投稿を自由にあげ、プライベートな写真もあげる。この私の思考を理解してくれているため彼・彼女らは基本既読スルー。ありがたや。
私は物事を聞いたりみたりすると、意見を言いたくなる。おそらく人より少し多い。しかし、それを批判や自分の意見を押し通したいとか肯定してほしいわけではなく、「主張が強い(ちょっと面倒な)人」と思われたくないがために意見を飲み込んできた。文章が得意ならばなんらかのツールで上手く主張しただろうが、なんせ私は話が長く面白みがないのを自覚している。
…。
理解してくれる数少ない友人にも、面白くない話を長々と聞かせ、相槌を打たせるのもいい加減忍びない。
ぬおおおお。」
どうやら私は、
ドラマ、映画、本、グルメ、ファッション、ニュースなど様々な事を
心理的側面から客観的に細かく分析する癖があるらしい。
そんな論文のように文字数が多く、論理的に、答えのない事を、客観的とは良い言い方で、要は上から目線の意見を言うのだ。
それは聞いている方はきっと面白くないだろう。
長ーく長ーくなってしまったが、
今回気づいた事が2点。
⒈自己顕示欲が弱くても、人として意見があることはおかしくない。
2.この人種にとって、昔からあるブログの形態(最近の流行とは違う、現実の友達と繋がらない方式)は、もしかしたらストレスの発散に適しているかもしれない。
ブログという形をとれば、
見たい人が見て、見たくない人は見なくて、見る側が飽きたらやめられて、
私は頭の中のモヤモヤ・意見を書く事で発散ができる。
良い方法かもしれぬ。とやっと気づいたわけである。遅い、遅いよ私…。
あとは
続くかどうか
である。めっちゃ大事。
それはまた別の話…。悩みはつきません。
頭の中で答えのない事をああでもないこうでもないと考えるのは昔から好きなのです。
でも、たまに人の意見も聞いてみたくなる。純粋にこの意見は周りからどう思われるのか。
ややこしや。
p.s.
話は逸れますが、こういう性格のためか心理学というものを学んでいます。じゃあ俺の心読まれてるんだ〜とかいうリアクションはやめてください。それ100回やってます。実際は少なくとも30回+苦笑いはやった。
心理学を学んでいると言っても何も変わりませんでした。むしろ余計に思考が論理的に… 。
あ、あと関係ないこと。
最初ブログのタイトルに、かっこよく?「マイノリティ」という言葉を使おうとしたのですが、社会的に何かしらの批判・被害を受けているという意味を含んでいるらしく、
簡単に意味を調べず言葉を使うのは気をつけようと思いました。
あ、さらにさらに
少数派と少数の違いも知りました。少数派って数が少ないという意味ではなく、あくまでも母数に対して少数ということなんですよね。
私が日頃自分を客観的にみて表したかった事は、母数に対して少数であり、被害をうけていないので「少数派」という表現が正しかったようです。
このブログ続くか分かりませんが、私にとって少しはプラスになったようです。
分かってたようで…っていうこと多いです。
「ようです。」連発してる…。笑