微妙に少数派に属するがユーモアはない

基本一般的ではない方が好みだが個性的まではいかない。私って微妙に面白みに欠けるんだよなあと良く感じます。意見を言うのは好きだが、目立ちたくはないし自己顕示欲が弱い。ほんのちょっぴり変わった人です。

自然と常連になるお店と会話

何度も行ってしまうお店ってありますか?

 

味はもちろんのこと、それ以外の要素って大きいなあと思うのです。

 

常連になる(わりといく程度も含む)お店って

「店員さんが、自分の事を、お客を通り越して、一人の人として認識してくれる居心地の良さ」

が一つの要素なんじゃないかなって思いました。

 

そこに長けているチェーン店のカフェで思いつくのがスタバ。

 

この前訪れたときに、スタバのどこが印象に残る?と彼に聞かれ、

彼は「会計と別の場所で飲み物を手渡される時だ。」と言っていました。

 

たしかに少し不思議かも。

 

 効率をある程度求めるカフェの中で(喫茶店を除くという意味)、
あえて会計と提供を分けているのは不思議です。席まで品物をもっていくならまだしも、お客が立ったまま位置を移動するし。

 

 

そこで考えたこと3つ。

 

あえてお客を移動させることで、

 

1.会話を増やす・人と話す機会を増やす

 

2.会計とは別の人が作ることで、お金を支払った対価によるサービスをうけているという意識を薄める


3.「〇〇を作っています!」と声をかけ、自分のために作ってもらっていると感じることによってありがたさを感じる

 

あくまで私の推測ですが。

 

 

 スタバはそもそもどの店舗でもお客との会話をしようとするスタッフ意識を感じるし、おそらくそういうコンセプトで作られたのかなと思います。

その上で、慣れているスタッフさんは名前を覚えてくれていたり、味の好みを知ろうとしてくれたり、見た目の変化でプライペートに入りすぎない程度に気づいてくれたり、そういうところでお客だけではなく個人としてみてもらえている嬉しさがあります。

 

 

 

カフェにいってコーヒーを飲んでぼんやりしているとこんなことばかり考えてしまいます。

 

 

 

 

 

そういえば、

先ほど彼に聞かれたスタバの強い印象について、

私はというと「キャラメルフラペチーノ。」と即答。笑

 

 

 

だって、高いけど、あれスタバでしか食べられないんだもん!

分析しておきながら結局コンセプトより味重視な私でした。

 

 

 

 

エンパス(共感力者)HSPへの疑問

おはようございます。

 

昨日の夜からずっと考えていた、

「これって本当なの?…と疑問に思った話」です。

(心理学的要素が強いので苦手な方もいるかもしれません。

結論といいますか、ちゃんと心理学の研究者に聞いていないので今回はあくまで私の憶測になります。後日、知り合いの教授に聞いてみるつもりです。)

 

 

最近、ある記事?ネットでの話題をよみました。そして、カウンセラーを名乗る人がカウンセリングを促しているのをみました。それに対しての疑問です。

共感力が強すぎる、エンパス、エンパシー、HSP、エンパス体質という言葉を聞いたことがありますか?

 

まず、エンパシー(empathy)という言葉は本当にあって、共感・感情移入という意味です。

 

ただ、エンパス・エンパス体質という言葉は心理学を学んでいて出てこなかったので、???初めて聞いた。と思いました。

 

 

提唱者のエレインアーロンさんによると、

科学的用語としてSensory-Processing Sensitivity (=感覚処理感受性)(SPS)という研究は本当にされていて、一般的にそのような人をHighly Sensitive Person(HSP)というそうです。それで感受性(≒共感性?)が強い人という訳になったのでしょう。

 

1991年以降アメリカのアーロンさん中心に研究が行われ、日本でも数名ではありますが、論文を発表しています。

 

しかし…

まだこの研究は十分に行われていなく、ここまで先に広まっていいものか…という疑問が湧きました。

 

なぜなら、共感力やエンパスという言葉に心理学を学ぶ人以外が反応し、実際にカウンセリングがかなり行われているようだからです。

(一部でオーラや、第六感と絡めているどちらかといえばスピリチュアルに近い要素と絡めている人もいます。それを完全否定するつもりはないですが、疑問はあります。)

 

 

 

そもそもエンパスという言葉がどこからきたのはネットではたどり着きませんでした。

 

共感性が高い人が存在することには同意です。

ただ、あなたはエンパスですよ!と断言するほど研究は進んでいないし、カウンセラーさんあなたは誰よ?って思ってしまいました。

 

難しいところですが、

本当に悩んでいる人にとって、エンパスか否かはともかく、適性なカウンセラーによるカウンセリングを行うこと(エンパスに限らず、不安を取り除くという意味)は効果があるかと思います。

 

気になる点はカウンセラーは国家資格ではなく、名乗ること自体は違法ではないため、実際、経験や知識がなくても誰でもカウンセラーということができてしまうことです。

一般的に日本で1番効力を示しているのは「臨床心理士」という民間資格で、大学院卒が必須です。

近々国家資格になるという噂はありますが、いつになるかはまだ決まっていません。

 

人生経験豊富な方がアドバイスをするという面ではある意味カウンセラーと同じ意味を果たすという点で理解できます。

 

しかし、一定数の人が、利益のために、カウンセラーと名乗り、共感しそうな言葉を並べて、お金をとっている

ような気がしてならないのです。

 

考えすぎでしょうか。

 

 

こういうまだあいまいな研究であるのに、割と多くの人が当てはまりそうな症状を前面に出してカウンセリングを促す人は、少し疑った方がいいかもしれません…。

 

 

というちょっとお固いお話でした。

 

 

 

箱根駅伝の白バイ

誇らしい気持ちなのだろうか。

 

先頭で走るランナーを誘導する任務。

 

ものすごい歓声。

 

でも自分に向けられたものではない。

 

 

父に言ったら、警察のトップクラスの人だよ。と言われたが本当なのだろうか。

(父は警察とは無関係の仕事)

(ちなみにまだ父とは喧嘩中)

 

バイの人の笑顔をみたら、やはり嬉しい晴れ舞台なのだろうか。

 

 

 

なんてどうでもいいことを挟んでみた。笑

 

 

p.s.

父との喧嘩その後

〇〇こういうところがむかつくし理解できない。とLINEで書いたら、

人の言葉をつかって、嫌だと思うことには何かが隠されている  とかいう本の引用をだしてきた。

 

そういう論点をすり替えて、あたかも自分が上手い事をいっているかのように振る舞うのがむかつくのに!!!!!笑

ムキーーー!!!笑

嫌いな人は1人もいない

 

これは本当だし、わたしのモットーでもある。

 

「嫌い」ってその人を全否定しているような、拒絶しているような気持ちになる。だから、使いたくないし、そう思わない。

 

人を嫌わない理由は人の見方にある。

 

「人は色んな面を持っていて、かつ、人それぞれその行動にいたった背景がある」

 

と考えているからだ。

 

これは違うと思ったり、不快な態度や行動をとられても、

 

まず、なぜそんな行動や発言をしたのだろうと考え、

それが理解できないものだったとしても、その人の苦手な一面として捉えているからだ。

一面と捉えるところが重要である。

他の部分ももっていると考えれば、まだ出会っていない色んな面があると思えるので、これからも接していけるのである。

 

私も人間だからカッとなり怒ったりもする。

 

でも冷静になった後、考えても理解できない理不尽な行動だったとしても、そうなったのには私の知らない相手の過去の経験、出会った人との関わりや生まれつきの性格でそうなったのだろうと推測するようにしている。そう思うと、これで過去に人を何人遠ざけてきたのだろうと考え、

私はしないように心がけようと教訓が増えておわる。

 

だから、いままで、ほとんど怒らない温厚な人でいられたのかもしれない。

 

 

この部分は変わっていないけれど、

この頃気づいたのは、そうやって、人から受けた嫌な感情を全て自分の中で飲み込んでいると、やはり疲れるのだ。

 

だから、最近はなにか言葉をうけたら、素直に反論するようにしている。(もちろん場の空気や相手は選ぶ)

喧嘩はするが、相手に吐いた分、楽になった。

 喧嘩している時は嫌な気持ちがいっぱいだけれど、あまりたまらない。(まだ少ししか実践していないので今後明らかになってくるだろう。)

 

 

反論された相手はどうなのだろう。嫌だろうな。面倒だろうな。

 

 

でも、自分の事も多少は大事だ。壊れるくらいなら少し吐こう。せめて、違うと思うことは違うと言おう。

 

 

 

 

 

堺雅人さん …好きだ!!大好きだ!!!!

好きな俳優さんについて話します。

 

私は生粋の堺雅人さん好きなのだ。

俳優さんとしてね。

私が中学1年生の時に半分一目惚れ(当時堺さんは30歳過ぎ)。

 それからずっと堺雅人さんが1番好きで1番かっこいい!!といいつづけております。

 

そういえば中1当初から現実主義傾向だったので「芸能人と付き合うなら」とかそういうことは考えたことなかったです。

 

微笑みと真剣な眼差し…こんな言葉でいってしまうと堺さんの魅力が陳腐なものになってしまう…。

 

 

ぬおおお、好きだ!!!あなたはかっこいい!!!

 

とまあ、ひたすら好きだと叫ぶことになります。

 

全部観賞しているわけではないが、

最初に惚れたのは

ドラマ「秘密の花園」(2007)漫画家をしている芸術肌の弟想いのお兄ちゃん。

映画「ハチミツとクローバー」(2006)花本先生

映画「アフタースクール」(2008)

映画「クライマーズハイ」(2008)

映画「南極料理人」(2009)

映画「ジェネラルルージュの凱旋」(2009)

映画「ゴールデンスランバー」(2010)不動のbest1✴︎

映画「武士の家計簿」(2010)

映画「ツレがうつになりまして」(2011)

ドラマ「南極大陸」(2011)

ドラマ「リーガルハイ」

ドラマ「リーガルハイ2」

ドラマ「半沢直樹

ドラマ「Dr.倫太郎

大河ドラマ真田丸

 

見たいけどタイミングを逃しているもの

・ドラマ「エンジン」

・映画「ジャージの二人

大河ドラマ新撰組!」山南さん

大河ドラマ篤姫

 ・映画「クヒオ大佐

・映画「鍵泥棒のメソッド

・映画「その夜の侍」

・ドラマ「ジョーカー 許されざる捜査官

 

 

みてないものも多いんです。

ファンとかいっといて申し訳ない。

本当すき。困った顔も驚いた顔も、心に秘めた闇も、ひとを癒しちゃう微笑みも。

私の表現方法では本当にとうてい足りません。

中でもダントツに好き10回以上みてるのは「ゴールデンスランバー」。実は原作の伊坂幸太郎さんも大ファンですが、最初にみたのは映画です。冴えない服装してニコニコしている堺さんがたまりません。そして、キャストさんばっちりです。吉岡さんの森田も、樋口さんの竹内結子もたまんないです。はあ。音楽が斉藤和義なのものは好みドンピシャ。最高。伊坂さんの原作も最高だし、中村義洋監督の構成もツボもわかってらっしゃる!!!!ぎゅっと濃くかつクスッと!!あれを映画の尺におさめ、伊坂カラーを全面に残すのは中村さんそうとうな伊坂好きです。

監督の中村さん、原作の伊坂さん、歌手の斉藤和義さんのタッグは他にもあるのでお互いマッチしてる感じがあるのだと思います。たまらん、ファンにはたまらんよ!!!!

伊坂さんの小説に斉藤和義さんがでてるし、斉藤和義の歌詞の元を伊坂さんが書いているし、伊坂さん原作の映画に中村監督も一つの役としてでています。(伊坂さんが原作の時点で中村さんをイメージして書いたそうです。)

 

…………最高!!!

 

 

 

 

あとは南極料理人、っっっ困った堺さんの顔みるのたまらないですよ。おじさんの集まりなのにみんなめっちゃかわいい!!!

 

ジェネラルルージュは、バリかっこいいです。かっこいいで賞のみでいったら、No.1かもです。

 

なんだろう…かっこつけなくて、微笑んでいて、情けない顔もするけど、人一倍努力家で、あきらめなくて、どんな状況も自分のペースで一歩一歩進んでいこうとする。淡々と。よく微笑みが印象だと言われますが、微笑みで様々な感情を表現できる稀な人です。全部微笑みなのに微妙に違ってその奥の感情がなぜか伝わってくる…。

 

 

どの役にもそのあたりが共通しているのかもしれません。堺さんが昔のインタビューで、どんなに役に入り込んでも、自分という部分はでてしまう。とおっしゃってました。

堺さんの背伸びしていない姿勢が、カッコ良く写るのかも。

 

実は映画・ドラマファンです。どちらかというた、俳優・監督・脚本めっちゃみるタイプです。

たいそうな知識はありませんが、好みに偏ったものはすごく好きです。

 

気が向いた時にまたお話ししますね。

個人的に特に好きな俳優さんを羅列すると、

堺雅人さん、竹内結子さん、吉岡秀隆さん、濱田岳さん、高橋一生さん、松たか子さん、松坂桃李さん、でんでん、森山未來さん、窪田正孝さん、神木隆之介さん、佐藤健さん、綾野剛さん、妻夫木聡さん、池松壮亮さん、星野源さん、新垣結衣さん、宮崎あおいさん、 香里奈さん、榮倉奈々さん、満島ひかりさん、蒼井優さん、真木よう子さん、石田ゆり子さん、小泉今日子さん…でしょうか。

 

 

俳優さん好き、ドラマ・映画、監督・脚本、作品好きなので、のちのちお話しします笑

 

 p.s.

今度のクールドラマ、カルテットのキャストさんが好きすぎてめっちゃ楽しみです。

しかも、最高の離婚を書いた坂本裕二のオリジナル脚本!!!

あれだけのキャストを集められるということは脚本に惹かれた要素があるに違いない。

超絶楽しみです。

 

最高の離婚大好きでした。あと、王道ですが、また松たか子さんがでてる初期のHERO大好き。

 

でもでも1番のベストカップルは

堺雅人さんと竹内結子さんなんだよなあ〜

(ゴールデンスランバーでは元カレ元カノでくっつかないけど)

そのため真田丸では絡みがあると、私一人で悶えてました。あれは一種の兄妹な感じでしたが。

本音を言葉にしたら喧嘩になった。

そりゃそうだ。

 

先ほど家族の1人と喧嘩をしました。継続中です。

会話→LINE(長文)→LINE(反撃長文)

現代風な喧嘩だわ。と若者ながら思います。

 

最近、やっとある人(カウンセラーさん)に本音(意見も含む)をいうことを始めて、慣れて、こうやって本音を文章に書くようになって、ブログに書くようになって、

 

過去だったら、

イラっときてもそのまま流していたことだったのに、

素直に反抗して、

ほとんどいったことがない「バカじゃないの?は?」という言葉がでました。

(ある一言に、納得いかない部分があって、でもそれを瞬時に反論する言語能力がなく、このような形になりました。)

 

その「バカじゃないの?は?」が拍車をかけ、LINEでの喧嘩に移行。

親子とも、あんまり感情的になるのが好きではないのに、納得できないところは反論したい。さも冷静かのように文章で反撃するあたり、ある意味似ているのかも。

 

実は私、ほとんど人と喧嘩したことありません。

母と弟と彼氏のみです。友達は記憶上ありません。もちろん赤の他人も。

しかも、態度とか言い方的な事でどちらかが怒って、数時間後「ごめんね、言いすぎた。」で終わるやつです。

 

納得できないとか、あまり謝らない人と喧嘩などしたこともなく。

怒られても基本本当に反省するし、理不尽な事いわれても、びっくりしておわるか、喧嘩めんどくさいから適当に流しとくか謝っちゃうかでした。わりと自分のミスがあって本当に申し訳ない部分多かったし。

 

もういいや。父と喧嘩しました。

父は自分とは違う人種?考え方のタイプなので、意見が違ったりイライラしても喧嘩するのが面倒でしない感じでした。

 

 

ところがどっこい今回はいっちゃいました。

さーーて、なかなか謝らない人との喧嘩初です。

これからどうなることやら。

長期戦になるのか。

ころっと忘れたフリをするのか。

実は謝るのか。

 

私は、悪い部分は認めてすぐ謝りますが、違うと思ったらとことん戦います(頑固)。言葉にしてしまったらなおさら折れません。相手の考えを聞いて、間違っていたと気づいたらすぐ考えを改めて謝りますが。(強がりではなくそれは本当。)

 

 

素直に言葉にすることで

ちょっといいこちゃん、優しい子からおさらばかもしれません。

 

これが続いたら

人間関係どうなることやら。

面倒になるのは確かですが、ストレスは溜まらない気もするし、さらにストレス加速する気もするし、逆に乗り越えていい関係になる可能性もあるし。

 

結果報告しまーす。(私しか興味なーい。)笑

 

 

 

 

年賀状が一通もこない

20代前半の年賀状事情

 

数年前から、年賀状が1通もきません。

正直悲しい。まあ、私も1通も出していないのですが。

 

もちろん要因は複数で、

・そもそも友達が少ない

・友達と思われてない

・面倒

・住所を交換してない

 

などは当然あると思うのですが(笑)

 

一応反論しておくと、

友達はそこそこいますし、

(*まず、私の友達基準は1対1で会う関係)

狭く深くタイプではあるものの、そんなに人見知りでもないです。

 

個人の事情はひとまず置いておき…

 

今回いいたいことは

「20代前半から年賀状のやりとりが消滅しつつある」の背景2つ。

 

まず1番は、SNSの普及でしょうか。

親密な関係でも、本当に基本LINEとのやりとりしかしませんし、住所、電話番号は知りません。電話はLINE電話で済みますし。

それに加えて、Facebooktwitterなど検索すればいくらでも繋がれる、友達を伝っていけば探せるので

「その気になれば、基本誰とも連絡がつくだろうという安心感」があるような気がします。

 

だから、年賀状で毎年やりとりしなくても、SNSをみれば近況も分かるし、わざわざ手間を取らなくても。ということになるのではと思います。

 

 

2番目といっても、ただの推測で自信はないですが、

お正月のイベント化なのかなと考えました。

日本の文化を忘れたわけではないけれど、クリスマスやハロウィンなどのイベントと同化することによって、別にやらなくても良い、という選択肢が生まれているのではと少し思いました。

特に同世代同士の年賀状は礼儀という面も省かれますし。

 

 

 

 

 

ここからは私の周りの話ですが、

ほとんどがLINEで

あけましておめでとう

です。

親密な関係でも年始挨拶LINEがない場合もありますし、なくてもそれほど気にしないような気がします。

 

過去には年賀状のやりとりがあり、特に親同士が関わっていると必ずありました。

でも、今はこのご時世、一方的に年賀状を送ったらLINEではなく、こちらも年賀状で送り返さなければならないのかと少し迷い、面倒くさがれる傾向にあります。

私は個人的に年賀状が好きで(あとで理由を)積極的に書いていたのですが、高校卒業あたりで相手に面倒くさがれる傾向が強くなり、相手の事を考え、送ることをしなくなりました。

さらにLINEが普及したことで、わざわざ住所を聞くという個人情報を暴く?作業が必要になったため送りにくくなりました。

 

 

私は率直な感想は、寂しいです。

私もかなり面倒くさがりなので、印刷したり、書いたりと手間がかかるのその点は嫌です。

 

個人的には、年賀状がいくつ来たどうこうではなく、単純に、

私を覚えてくれたこと、

なにかしらメッセージを書こうとしてくれたこと

の嬉しさと、

 

その人の年賀状のチョイス、

字の書き方、コメントの選び方、

少しその人の性格をみるようで毎年とても楽しかったです。

ただの「あけましておめでとう。今年もよろしく。」の人でも、字の書き方や性格などで、その時の心情を思い浮かべてしまうのです。

なにも考えず作業的に書いたかな、コメントに迷ってこれにしたかななど、性格と照らし合わせて想像するといった方が合うかもしれません。良し悪しではなく、性格が垣間見えることってなかなかなくて貴重じゃないですか。

 

 

嬉しさに対しては…なんでしょう。自分のために手間をかけてくれた(多少面倒くさがれていても)事実が嬉しかったのかもしれません。

 

 

 

最近効率ばかりが優先されますが、

効率が悪いことで生まれる良さがなくなるのは寂しい…。

 

 

みなさんは今年の年明けどうお過ごしでしたか?