微妙に少数派に属するがユーモアはない

基本一般的ではない方が好みだが個性的まではいかない。私って微妙に面白みに欠けるんだよなあと良く感じます。意見を言うのは好きだが、目立ちたくはないし自己顕示欲が弱い。ほんのちょっぴり変わった人です。

長期の仕事が終わってほっと一息

1〜2年かけて進めてきた仕事が終わりました。

 

本当にほっとしています。

 

実は泣きそうなくらいほっとしています。

ここまでこれて本当によかった。

 

もともと

自分のペースで長期間進めるのが苦手なこと

〈ある理由〉

があって、

ここまでくるのに、何度も挫折しそうになりました。

だから嬉しいです。

 

 

 

今回は

かなり私情ですがその理由についてかかせてください。やや長文になります。

 

本当にただの「私」の話になるので、

読まなくていいですよ。笑

ここに至るまでの思いが強くて、書き残しておきたいので、人が読まれる場には相応しくないかもしれませんが書きます。

 

 

 ・・・

仕事のタイプは、ゴールがなく、自分のペースで条件内に収めれば、合格ラインを越すものでした。

いわゆる「質を上げようとしたらキリがないが、クリアする方に関しては難関ではない。そこそこでも良い。」というやつです。

 

ただ、私の性格上

やっている内容が自分にとって興味があり楽しかった事、

やりはじめるととことんやる凝り性

が原因で自分で完成させる難易度を上げていました。

 

 

 

 

その上で、 ある理由によって苦しみました。

そもそもある理由も性格と関連が深いのですが。

 

簡潔にいうと、長らく「鬱状態」でした。

 

うつ病」と診断されたこともあるし、「神経症」による鬱状態とも言われました。

 

病名でも、病気でなく性格でも、自分にとってはどうでもよかった。

 

ただ、ただ、理由もなく、

2日〜3週間〜2ヶ月

《何もやる気がおきず、自分に絶望する》

寝たきりの期間が定期的にくる。

 

 

逆にそれ以外の日は、普通に生活し、わりと発言し、たくさん参加し、積極的に楽しんでやっている普通の人。

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 鬱病神経症の話になるとは思ってなかったですよね。

題名にこれをわざわざ載せるのもな…と思ったのでこう内容にはさんでみました。笑

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だが 1度その時期が来てしまうと、その状態がいつ終わるかわからない。3日でもどるか、3週間かかるのか。

何度もやっていると、

「また来た。もうこうやって何もできずに、働けずに、周りに迷惑だけかけて生きていかなければならないのか。それがずっと続くのか。」とさらなる絶望を感じる。

 

1番は仕事に支障をきたし、周りに迷惑をかけるのが1番苦しく本当に申し訳なかったです。突然仕事にいけなくなったなんて1番困ることを知っています。

そして、自分ですら理由もわからないから、休む理由も言えない。 心優しい人がどうしたの?と聞いてくれても、何もいえない。

 

 

*たまに話に出てきてしまってるので分かってた人もいるかもしれませんが、

私は大学4年生です。

当時はバイトもしてたので仕事というのは嘘ではないですが、大学生は勉強が仕事という意味で使っていました。個人情報はあまり明かしたくないと思いましたが、これを話すには避けられませんでした。*

  

改めて、長期仕事という名の論文を書き終わるまでの私について話させてください。

もう人の日記を読む感覚でいてください。

 

 

 

1番悪いピークだったのは、休学状態になった3年10月頃。授業・単位・論文がありましたし、就活も迫っていました。

大学生活で1番準備をしっかりやらなければと思っている時期でした。

 

後で分かった事は、

凝り性・真面目な性格などが影響して、テストや試験などの締切日近くになると、

自分で勝手にプレッシャーをかけ、そのために動けなかったことでさらに挽回するためにプレッシャーをかける悪循環。

色々とできる限り完璧にやろうとした事がよくないようでした。

 

今でもはっきりとした原因はわかりません。

昔から友達とも仲良く楽しくやっていたし、本当に親友と呼べる人も多いです。

なんでも楽しめるタイプで、勉強だって嫌いではなく楽しさも感じていました。

嫌な事があったりしたら分かりやすいのですが、それはなく、すごく楽しいことが多い日にもなるので、尚更つらく、訳がわからなかったです。

 

 

 

今思えば中学3年から発症しはじめ、高校もだましだましでやってギリギリで卒業し、なんとか留年・浪人せずに大学に進学したので、今思えば不思議な事ではなかったですが。

 

大学生の私はというと、1年は勉強に興味がある私とない友達との相性に悩み、結局欠席回数で単位がとれませんでした(それが理由ではないかも)。

しかし2年は良い出会いから楽しいものをみつけ、参加し、出会い、参加し、企画し、提案し、とみるみる活発になっていきました。

ああ、これが本当の私だ!と自分に少しの自信を持ち始めました。

周りからも評価され、頑張ってるね!すごいね!と言われて素直に嬉しかったです。

3年7月まで楽しく過ごし、授業もほぼ欠席がないまま単位をとり、

ああ、もう大丈夫だ!と思っていました。

 

 

 

3年夏休み、海外の民族ボランティア(体験に近い)、海外旅行、国内旅行、地域企画、インターンなど予定がぎっしりで隙間がない状態。

 

夏休みのあるなんでもない日に、突如、過去に体験した感覚が蘇り、あの明るく元気な私が死んだ目になり、起きられなくなりました。

海外に行く前日でした。

焦りました。やばいと思ったその時にはもう遅かった。

色々な予定のキャンセルの連絡すらできなくなり、なぜか電話音に恐怖を感じ、外に出るのが苦痛でたまらなくなりました。あんなに友達と話すのが楽しかったのに、心配されているのに返事ができない。他人の視線が怖い。うまく言葉がでない。

 

あの時以降の夏から半年はあまり覚えていません。

どうにか母に協力してもらいながら、約束していた予定をすべてキャンセルし、バイトも休業。結果、良くなるどころか絶望感と罪悪感が増すばかりでした。

 

夏休みが終わって、気力で1週間大学にいったものの、もう限界。残りの単位数と私の状況を考えると留年を決意しました。留年どころか、留年しても変わらず卒業できそうにないから退学しようとも考えました。

 

とりあえず、もう3年後期の授業はあきらめて休むことを決意。

 

その頃ある主治医とカウンセラーさんに出会って、ゆっくりゆっくり正気を取り戻していきました。

 

4年生に上がる時期になり、復学を散々迷いましたがやってみようと授業にでて、なんとか授業の単位をとり、もしこのままいけば論文を書いて授業の単位がとれれば卒業できるとわかった夏休み後から就活をしだしました。

無理をするとすぐ逆戻りするので2〜3社しか受けられず。

ただ、こんな私でも、興味をもってくれる会社に出会って、

就活は、私が大学3年時に神経症だと診断されたと社長に正直に話した上での採用で終わりました。

 

そして今日の論文提出。

本当は3年から資料を集め、3年の12月頃から本格的に調査を始めるところを、主に4年の6月頃から題材を考え、関連論文探すところから始まり、なんとか、ここまで。

ある程度自分の納得いくものを提出できた。

 

 

たくさん助けてくれた、優しい色んな方々の感謝の気持ちはあえて書きません。

とうてい書ききれない。

 

 

まだ、卒業じゃないけれど、

色んな方々の助けと支えが大きくて大きくて1番だけれど、

 

今日だけは自分に、

「よくここまでやったね。すごいね。ほら、未来は分からないよ。どんなに分析してどんなに無理だって思っても、こんなことがおきるんだよ。」

といいたい気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 長ーい、知らない人の日記を読んでくれてありがとう。

今日こんな気持ちになった人が一人いるんですよ。

びっくりでしょ?

(笑)

 

 

輪ゴムで髪を止めている女

はい、私です。

 

 

お風呂に入る前、

服を全部脱いで、最後に洗った後用の黒ゴムを引き出しからとるんです。 

 

洗面所に黒ゴムがないと気づくと、

ついつい部屋に戻ってとりにいくのが面倒で、

キッチンから輪ゴムとって、使っちゃうんですよね…。

 

なんかダメな気がする…。

女として…?

 

 

 

違う話ですが、

実は見た目、うさぎ女子とか、おとなしい、清楚、と言われます。

意外でしょうか。どうなのでしょうか。

 

ちなみに私の服の系統、雑誌でいうと「美人百花」です。

これは女性の一部しか分からないですね。

 

 

 

おそらく、顔の系統と、服装。中身は全然違います。

でも服は純粋に本当に私の好みだから選んじゃう…(ややこしい)(男ウケ意識ではないことを声を大にして主張したい!!!でも、そんなことを実際に言ったら、うそだと思われ、逆効果になりそうだから言わない。アイドルが自分のことを全然可愛いと思ってないと言ったときに感じる嘘つけ的な???)。

 

 

初対面時のレッテル外すのに昔から苦労してます。

変に気遣われたり、ドジをした時につっこんでくれなかったり… 一部の同性の人には、私とは違うわ〜と遠ざけられたりします(きっと悪気はない)。

しかも、ややこしいことに、レッテルを外したい時に限って、天然にみえる行動を素でやってしまう…。空回り。

 

そこであみだした、私の対処法。

「ラーメン巡り好き、日本酒・ウイスキー好き、おつまみ好き、甘いものあまり食べない」

を最初にいう。

 

エーーー意外!そういうタイプだと思わなかった!

と言われたら、よしきた!!!と心の中でガッツポーズ。

 

 

はやく中身さらしとかないと、後々知ったら幻滅されるんですよ。笑

レッテルはられたままだと、だんだん本当に大人しく、おっとり、えへへキャラになってしまうから自分で辛くなる。

 

 

 

中身こんななんだけどな。

 

 

 

あえてデータを物にして残す

最近、写真を現像(印刷)してますか?

 

 最近IT技術の進化がすごいおかげで、今まで物としてしか存在できなかったあらゆるものが、物体のないデータとして残す事ができるようになりました。

そして、データとして扱うことのメリットが多く様々な物をデータとしてのみ残すようになりました。

 

 

しかし、私はあえて、物として残すことに意味があると思って、意識してやっている事があります。

 

 

最も代表的な物は「写真」。

区切りのいい年に、3〜4年のスパンで、写真のデータを集めて、ものすごい数から数枚を厳選して小さなアルバムにしています。

それには理由があります。

 

最近はそのデータ保存量の多さと気軽さから、ほとんど現像(印刷)することがなくなりましたよね。

でも、気軽さのあまり、写真を撮り過ぎてさらに保存しているデータの数があまりに多過ぎて、実際には見返す事がないまま忘れ去られてしまうのではないかという不安を感じるのです。

 

もともと、写真を撮る理由が「誰かと共有したい」の他に、「この時の事を忘れたくない・また思い出したい」という事があります。

特に私は後者の思いが強いです。

 

 

膨大なデータの中に埋もれてしまう前に、厳選して、自分が生きている限りは、目に見える・触れる形で残しておきたい、そして、頭では忘れても見る事でその時を思い出して、また嬉しくなりたい。

 

 

 

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少し話が変わりますが、

今私のiPhoneに残っている写真は、人がかなり多いです。

風景も好きですが、どちらかというと、誰と見たか、どんな話をしたかの方が私にとって大事なのかもしれません。

 

私と関係がある(あった)人との写真は、その時の事自体だけでなく、写っている人の性格、当時の他の思い出、自分の感情など、

他にも色々な事を思い出すことができます。

また、その時の風景は似たものを他の人が撮れても、その時の人と私は他の人には撮れません。

 

実は、

私はこのご時世他の人に比べて写真を撮る事がかなり少なく、本音は頭で覚えていたい派ですが、特に辛くなったときなどは今のことで精一杯になって忘れてしまう事があります。

また時間が経つにつれて忘れることは自然なことだと受け入れてからは、本当に忘れたくない事は物にして残そうと決めました。

 

 

 

今までずっと写真のことについて話してきましたが、

他にも、人からもらった手紙や、ある人から何気なくもらったお菓子の箱、思い出深いボール、学生時代、授業中に暇で回したルーズリーフの切れ端に書かれた手紙、小1の時に初めての友達にもらった変なゴムのリング(2人で腕につけて、これで親友だね!といっていた)

人からは、え?っていわれるものも実は残しています。

 

人に固執しているわけではなく、何気ないものでも、その時色々な思いがあって、ものすごく嬉しかったもの・強い思い出に直結するもの・なんとなく好きでいつもみると笑ってしまうものという基準で残しています。

全て他の人に見せる気はなく、自分のためです。ある意味、宝物箱のようなものです。

 

 

気持ち悪いと思われる方もいるでしょう。

 

 

 

私はきっと少し変わり者です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽く「それブラックじゃん」といわれると少し不快

怒っているわけではないんです。

ただ、自分の仕事に対して、あまりよく知らないのに他人に「それブラックだよ」と言われることは、言われた側として気持ちがよくないのは事実ではないかと思うのです。

自分がそこまで過酷な労働環境だと思っていない場合です。

 

たしかに、大変だよ〜、と愚痴をこぼすことは誰でもあります。でも、それに対してブラックだよと簡単にいうのはどうなのかと思うのです。

 

 

 

 

 

最近、明らかに労働環境が悪いとは言えなくても、なにか自分の価値観と合わないと「ブラック企業」と言う人が多い気がします。

 

自分の会社のことをいうならまだしも、友人や他人の会社のことを聞いたときに言う「ブラックじゃん」が気になります。

 

なにか心にひっかかるのはどうしてですかね?

ブラック企業という言葉が最近できたからか、皮肉や軽くバカにしているようにとらえられやすいのでしょうか。

または

ある部分に対して会社が間違ってる、という意味なのに、とびこして、その会社は悪徳会社だと言われている気になるからでしょうか。

 

あ、それは結局その会社に勤める事を選んだ自分が間違っていると言わている感じにとれるからなのでしょうか。

 

ちょっと考えすぎですかね。

 

もちろん、労働環境が悪いところは実際存在するし、今まで水面下にあったものが問題視されるようになったことは良いことだと思います。

 

 

 

これは実際、私が友人に言われた事です。

 

私は4月から入社ということになっているのですが、

・事前研修が多いこと(給料・交通費支給あり)6〜7回

・4月入社前に、バイトとして可能な程度で働いてほしいと言われていること

・3月は特に実際の勤務地で働き慣れるために今の時期に予定を出してほしいと言われたこと

 

を話したら、「それブラックじゃん」「大丈夫なのかよ」と言われました。

 

 

確かに、4月入社なのに、事前に働いてほしいと言われる事について、環境が良いとは言えないかもしれません。

でも…給料・交通費は支払われること、

特に業界的に4・5月の忙しさがドピークで新人教育に手が回らないこと、などを私は知っていたので(その業界で過去にバイトをしていた・詳しい事は言えませんが、慣れが4・5月の仕事に直結して影響がでる)

 

学生最後の休みが少ないのは残念だな…とは思いますが、入社後にほっとかれるよりは会社として賢明な判断なのかなと思っていました。

 

 

 

 

実際入って勤務してみないと本当の実体はわかりません。でも、働こうとしている意思がある人に向かって、「ブラックじゃん」は傷つく・嫌な気持ちになる言葉にもなりうると感じました。

 

自分が気づかなくて、他人におかしいと気づかされることもあるので本当に一部の話です。

 

 

 

以前から友人と私は3月に遊ぼうとしたので、今早急に計画を練り、決断しないと遊べない環境にあることに疑問を感じたようでした。

悪意はないんですけどね。

 

たぶん怒りの矛先が私の会社に向いた、なにげなくでた一言だったと思います。

 

 

 

 

私が言われた一言を気にし過ぎだということは重々承知です。

 

ただ、何気なく言った言葉が意図せず嫌な気持ちになることがあると言いたかったです。

 

 

 

くどいようですが、本当に友人に対して怒っている訳ではないんです。

よく遊ぶほど仲が良いし、友人のことが大好きです。

 

おわり

 

 

寝っ転がるのが好き過ぎて

座るより、立つより

 

寝転がるのが1番好きです。

すごく好きです。

 

座っててもあまりリラックスできないんですよね。寝るのももちろんすきですが、また別です。

 

寝転がりながらiPhoneしたり、本読んだり、漫画よんだり、

 

実は論文書いているときも寝転がりながらが1番はかどります。

 

実はガッと集中するのが得意です。

でも欠点があり、間に休憩を挟んでも、短時間でリラックスすることが苦手で、実質頭と体を休ませられないのです(色々試したが効果なし)。

 

短時間集中は座ってても全く問題ないんですが、長期戦(自分のペースで自分の意見を述べたりする、1年・半年程度かかる作業)は、後半から疲労が蓄積して急にペースダウンしてしまいます。

 

 

その結果、

寝ながらやると、過集中しない程度にやって、たまに他のこともして、結果こっちの方が長時間やれてはかどる。

となります。

 

我ながら面倒。あんまりいないかしらこういう人。

あ、ただし、腰が悪くなるのはよろしくないです。笑

 

 

 

あと、同じ過集中の欠点が理由で、

静かな場所や、みんなが集中してシーンとなっている場所で勉強するのが苦手です。

ある程度人が話していたり、誰かが活動している音がある方が、適度に集中できます。

 

わりとかなりうるさくてもできます。笑

 

自分だけ自分の世界に入るの得意です。

 

こういう人はいるんじゃないかな?

 

ブログはダンブルドア校長の憂いの篩に似ている

注⚠︎ハリーポッターを完全に知らない人は分からない内容になっています。映画を途中までくらいならみたよっていう人は少し?わかるかもしれないです。

 

良からぬことを聞きますが、

憂いの篩って読めました?

 

正しい読み方は「うれいのふるい」です。

はい、私読めませんでした。

ふるいって使わないし!!!篩ってなに?

 

検索した結果…ああ、小麦粉とかダマにならないように使う網目の道具やん。めっちゃ知ってるやん。

 

ハリーポッターの世界に惑わされました。

 

 

と、ここまでちょいと長い前置きになりましたが、題名に戻ります。

「このブログは、ダンブルドア校長の憂いの篩に似ている」という私の見解。

 

頭で考えつくしょうもない疑問が多過ぎて困っていたところに、このブログを立ち上げることを思いつきました。

 

私にとって、頭の中を整理する目的でもあります。そして、現実の友人・家族にウザがられる内容をここで発散してます。笑

 

文字にすること(はっきりと言語化すること)で、過去の意見もみられるし、意見の変化もみれて面白いです。きっと。(まだ1週間弱しかやってない。)

 

頭の中のモヤモヤが多い証拠に、公開前の下書き(題材のみ)が現時点で17個たまってます。

ずっと意見を抑えてきた反動?笑

 

文字にすることで、ある意味頭で長く覚えてなくても残しているから軽く忘れても冷静に見返せて、簡潔に書かれているから、思い出すのも楽チンです。パッと考えついて、パッと忘れることも多いし。

 

さらに、自分だけみる日記とは違い、多少は人が読む可能性があるのでより言葉を選び、結果自分のためだけの日記より質が上がる気がします。

 

 

ダンブルドアがやってるみたいに、頭から銀色の糸のような記憶(私の場合は思いついた感想・意見)をふるいに入れていると思うとちょっとカッコイイ気がしてきます。

 

単純ですね。

 

ちょいと関係ないですが、残念ながらハリーポッターの熱狂的ファンではありません。映画はすべて見ています。ちなみに個人的にハリーポッターシリーズ映画は結局一番目の作品が好きです。あの、魔法が存在する新世界に触れた時の感動?ハリーと同じ気持ちになった事が忘れらません。あと音楽もすごくいい!!

 

ウィンガーディアム、レディオーサー(わかるかな?)はその辺に落ちてる木の棒で練習した記憶がかすかにのこっています。笑

 

 

論文の追い込みで疲れたので今日はおーわり!

 

 

 

 

思っているよりはるかに価値観が違う

「価値観・視野の広さ・考え方が自分が思っている以上に他人と違うことがある」のお話。

 

そして、空気が読めるかも人によって本当に違う。

 

考え方なんて人と違うということは当然で当たり前だと思うのですが、
それにしても!!!!!

え、ここまでこの態度で、こうしてるのに、よくわからないね?!(悪い意味)

 

っていうこと、意外にもよくあります。

今日価値観が似ている友人と会ってその話で盛り上がりました。

 

 

要は自分の想像以上に、違いがあって、理解できない範囲ということになってるのでしょう。

 

人間幅広すぎです。

そんなに多様性あって、ストレスためさせないでくれ…神様…。

 

 

 

今現在環境に恵まれていますが、過去にどうしても理解できない人というのがいました。

 

 

分かろうとする努力…それを続ける苦しさ…。

 

 

理解しようと努力した優しい人が壊れない世の中であってほしいです。

 

 

 

自分も知らない間に、誰かを頭に血がのぼるほどイライラさせたりしているのかな…

 

気づけなくてごめんなさい

謝れなくてごめんなさい

 

 

人をイライラさせる人になりたくないな…

 

でも自分に過度なプレッシャーかけないよう気をつけよう。

 

自分の話になってしまった。